第3回全校朝礼!!
2月14(火)午前8時40分から、体育館で第3回の全校朝礼をしました。1・2年の担任が出席をとってから、校長先生の講話が始まりました。講話の内容は、以下の通りでした。
〇「積もった雪」 上の雪 さむかろうな。 つめたい月がさしてゐて。 下の雪 重かろうな。 何百人ものせてゐて。 中の雪 さみしかろうな。 空も地面(じべた)もみえないで。
この詩は、皆さんもどこかで聞いたことがあるだろうと思いますが、金子みすゞさんの詩です。雪の白さに見とれているときに、下の雪や中の雪に思いを馳せる人がいるでしょうか。まして、下の雪は重かろうなあ、とか。中の雪はさみしかろうなあ、などと思う人がいるでしょうか。
私たちは、往々にして目に見える部分できれいだとか、すばらしいだとか、よくがんばったとか、その物や人を評価してしまいます。確かに、表面に成果が出てくることはすばらしいことです。目に見える成果を出すためには、きっと蔭ながらの努力があればこそだろうと思います。 しかし金子みすゞさんのこの詩を読むと、上の雪も下の雪も中の雪も雪の一つの姿なのだと思わせてくれます。下の雪や中の雪が決して上の雪のためにあるのではなく、下の雪も中の雪も、雪そのものなのだと感じさせてくれます。
皆さんは、学校で大変よくあいさつをしてくれます。掃除も一生懸命しています。まさしく「凡事を徹底」してやってくれていると私は思っています。しかし、目に見えない部分ではどうでしょうか。学校以外ではどうでしょうか。ネット上での残念なやりとりや学校外での残念な行いを時々耳にすることがあります。
1月の下旬だったでしょうか。私が、市内のジムに汗を流しに小汚い格好で行ったときに、「校長先生!」と挨拶してくれた生徒がいました。ちょっと照れくさかったですが、とてもさわやかですがすがしい気分でした。皆さんには、ぜひ目に見える上の雪だけでなく、下の雪も中の雪も変わらず白く、美しくあってほしいと願っています。
生徒たちは講話の内容に、真剣に聞き入っていました。